自分の存在と孤独

本当の自分の動きを導く『 深部感覚トレーニング』

「深部感覚」へのアプローチは、医療関係者や専門家には馴染みがあっても一般の方にははじめて耳にするようなこと。
難しい知識は後回し。
まずは、体が楽になる、動きが軽くなるなど、自分の体がプラス変化だと感じることを重ねることからでOK。

筋肉への意識の高さは、体の緊張や力みになり感覚を霞ませる。
「深部感覚」はそもそもが、霧の中にあるような感覚。
感覚を闇雲に探るのではなく、骨指標を目印にすること。

深部感覚アプローチは、物理的でより具体的。
骨の強度と安定を確認し、普遍的な骨格を得る。
骨の支持性を備えれば、筋肉への意識は消えてもよいはず。
そして、無意識の感覚の流れを全身に張り巡らせる。

「深部感覚」は無意識の感覚の流れ。
自分がこれまでに経験してこなかった感覚の流れに乗る。
それは、固有感覚受容器の活性化を促し、体のプラス変化をもたらす。
体のプラス変化は味わうと共に体と心に幾重にも重ね塗ることで、体の内側から自分の内部環境を整える。

内部環境には、体の不調、パフォーマンスの波、などの理由もフル・スクワットやロール・オーバー上達の手掛かりがある。

深部感覚

自分の存在と孤独/ボディイメージ(身体像)

最近、ふと思い耽ることがある。
毎日の生活の中で自分自身が何のために存在し生活を営んでいるのか?
ということである。

知人たちに話をすると、
普通はもっと若いときに悩むよ。
といわれるが、私はこの歳になるまで考えたことがなかった。

それは私が自分の思うがままにここまできていて、止って考えることがなかったからだと思う。
しかし、ここにきて深部感覚をテーマにしているせいなのか、内なる自分にスイッチが入ったのかもしれない。

どうして自分がこの世界に存在しているのか?
結論がでないテーマであるから多くの人が悩むのではないかと思う。

私は12年前に足の怪我によって感覚を失う経験をした。
感覚を失った世界というのは外部の世界と内部の世界に自分の境界線がなくなる。
暗い世界に自分の輪郭すらない自分の意思のみの世界。
これは内なる孤独と表現できる。

もともと私は好き嫌いがはっきりしていて、付き合う知り合いも多くはないが、一人ぼっちということはない。

しかし、内なる孤独というのは社会生活を営んでいたとしても孤なのだ。

だから外部の世界に何人も知人がいたとしても自分の中身は外部刺激のみで内部刺激が生じない。
例え、無理をして愛想を振りまいて外部に知人を留めておいたとしても内部に刺激は生じないから、
それで自分の中身が安心するわけでなく孤独という不安からは逃れられない。

私は感覚を失った経験がターニングポイントになり自分という存在が何で構成され作られているのかということをボディアプローチで問うてきた。
外部と内部の世界に自分という境界線が描かれ、からっぽの内部に身がいく分か注がれてきたが、
それでも自分自身が何のために存在し生活を営んでいるのか?
ということの結論は出ない。

それは、まだ自分の体の絶対的な所有者になっていないから?
かりに自分の体の絶対的な所有者になっていたとして、
満足なコントロールができていないから?
いろいろと条件が揃ってない段階で結論が出ないのも無理はないと思う。

しかし、内部で刺激が生じるようになり内なる孤独という状態からは遠ざかった。
それから、ボディアプローチで内なる姿勢、身体像に語りかけることで、それが自分自身と向き合っていることなのだろうと思うが、何か自分の存在ということに少なからずとも自信というか納得感のようなものがある。

もしかしたら、自分自身と向き合うことが、「何のために存在し生活をいとなんでいるのか?」の結論なのかもしれないと、益々、構造動作トレーニングに打ち込む意欲が沸き上がってきた。

深部感覚

 


 
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