自分の土俵で勝負する
目標に向かっている人。
目標が決まっているのなら真っ直ぐ進めばいい。
目標へ到達するための手段に迷っている人。
自分の主張を周囲に知らしめるために勝負に走る。
自分の土俵で勝負すればいいのだが、
自分の土俵がない。
何とかしなくては...。
他人がよく見え、うらやみ、ねたむ。
自分の方が...。
自分だったら...。
もっとできるはず。
道場破り!?
他人の土俵で勝負する。
私も若い頃は勇んで人の土俵を荒らした。
勇み足というのだろう。
2代目、3代目と受け継がれる土俵ならば相応の実力を備えたときに引き継ぎという形式になるのだが、そうでなければ自分の土俵作りが必要だ。他人の土俵でいくら叫んだところで、いわゆるKY、空気の違う人間でしかないから印象を悪くすることになる。夢中になっているときは周りを見ることが難しいけれど、一度落ち着いて足元を丹念に確認した方がいいだろう。
自分の土俵作りは、経験の積み重ねでしかない。それは、自分の専門分野に限らず年相応の経験が俵になり自分の土俵の礎となる。と、私自身にいいきかせている。この歳になってもまだ子育て、親孝行、礼儀など、ままならない。
自分を大きく装っても実体はともなわない
他人からよく思われたい、凄い人物だと思われたい、共感を得たい。
今のビジネス戦略でいうブランディングをして自分を大きく装う。
私のところにも何十社ものブランディング、自費出版営業がかかった。
結局、見る人が見れば欲は見抜かれる。
現状が今の自分の実力。
私はその欲をむなしく感じ、取次をことわった。
自分を大きく装ったところで実体はともなわない。
ありのままを受け入れられなければそれまで。
仮の自分を装ったところで苦しさから逃れられない。
と、自問自答してみる。
自分に自信があるのなら孤独に耐えられる
食べるために仕事をするのか、それとも心豊かに生活するために仕事をするのか。
私は後者を選択した。
自分の理想を追い求めるのには孤独がつきまとった。
それは私が不器用だからかもしれない...。
しかし、多くの人が孤独に耐えきれず妥協してしまう。
端から見ていると、もう少しの辛抱だと思うのだが、自分からはその距離が見えにくいようだ。
近くて遠いその距離は後悔というのかもしれない。
もし、自分に自信があればきっと耐えられるはず。
耐えるというよりは、ある時期を境に身近にささやかな楽しみがうまれはじめる。
あとは他人が気にならなくなる。
と、自分自身にいい聞かせている。
自分に自信がないのなら
経験を重ね、長い目で自分の土俵を築けばいい。
なにも、勝負するばかりが土俵ではない。